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魂のうた、いのちの旅 (徒然編)

魂のうた、いのちの旅 (徒然編)

2000年9月





2000.9.24.

無造作に脱ぎ捨ててあったTシャツを見つけて、
「誰のや」「こんなとこに置いてたらあかんやん」
と、子ども達がきゃあきゃあ言ってる。
「これお父さんのやわ」「匂いでわかるわ」
というのでどんな匂いか尋ねた。
「あったかくてやさしい匂い」
「・・・・・・・・・そうか」
思わぬ答えに涙ぐんでしまった。


2000.9.23.

先日の新聞の記事。あるインターネットの掲示板に、
他人の名前や電話番号を書きこんだという。
インターネットは情報の伝達、コミュニケーションを
とる手段として実に有効なものだが、こういうことも
これからは増えていくのだろうか。
あなたの名前で恋人募集中などと電話番号と一緒に
書きこみされたらたまらないだろう。
雑誌のウソ記事といい、こんな迷惑千万な書きこみといい、
ひどいやつがいるもんだ。その根っこはどこにあるのだろう。
人の痛みをわからないまま育つのは何故だろう。
やはり大人なのか。教育なのか。真剣に子育てしよう。


2000.9.19.

17歳の少女が3歳の幼児を転落死させる、
という事件があった。私の家から歩いて20分ほどの
ところにある○○学園(児童養護施設)での出来事。
自分の家から近いところでの事件という事も
ショックだが、なんともやりきれない思いが残る。
児童養護施設とは理由あって親・その他の保護者と
住むことができない子どもが生活する施設だ。
17歳の少女は、「悪いことをすれば、園を出られると思った」
という理由で3歳の子を転落させたと言う。
「学園での生活に嫌気がさしていた」と言う彼女。
先日、ある児童養護施設の方と話をしたときに、
「ここの子たちは心になんらかの傷を持っている。
逃げずに、見限らずに、根気強く関わっていかないといけない、
大変な仕事です」と言われていた。大変な仕事なのに
現代の制度では職員に満足に給料を払えないとも言われていた。
「こころざし」ひとつで仕事するような状況だと言う。
片や、別に無くても誰も困らない新製品を開発したり、
必要以上にモノを売ったり、儲ける事しか考えない連中が
高給を得て、必要以上に、いや、必要で無いモノまでにも浪費する。
いいのか、これで。大人達よ。
事件のあった施設の日常がどんなものであったかはわからない。
少女の心の中もわからない。なぜ、そんなことになったのか。
亡くなった幼児の命はもどらない。まだまだ無限に輝く可能性のあった、
いかようにも燃え滾らせる事ができたはずの命がなくなった。
心に痛みをもっていたであろう17歳の少女はさらにまた痛みを塗り重ねてしまった。
ほんとうに、今の時代の子ども達のために、なにか、なにか、なにか
できることはないのだろうか。


2000.9.15.

自分のHPのリニューアルについて、
いろいろ考えてみたが、とにかくシンプルにしようと思った。
気の向くままに書いてきた日記(?)だけで良しとしよう。
せっかくなのでヤマトアラシに関するコメントと
子どもに関するコメントをここに残しておきたいと思う。

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私は「ヤマトアラシ」でベースを弾いている。
たまにコーラスをとることもある。
音楽は私の人生に絶対に無くてはならないものである。
私にとって「バンド」という形態で演奏することは、
何物にもかえがたい至福の行為である。(2000.3.31)

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自分の子どもができる前、私は子ども嫌いだった。
電車で泣く赤ん坊の声に無性に腹をたてていた。
だが自分の子どもができて、私は子ども好きになった。
電車で泣く赤ん坊の声に笑うことができるようになった。

子どもを育てることは自分を育てることでもある。
純粋な子どもの心に涙を流してしまいそうになることが、よくある。

子どもは未来の宝だ。
子ども達にとって現代、そして未来は希望に満ちているだろうか?
否、暗澹たるものである。

私は子ども達の未来のために何かしたいと思っている。
まだ何が出来るかわからないが、さがしていきたい。(2000.3.31)

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2000.9.14.

4年生の娘は今、学校でローマ字を習っている。
英語用のノートが欲しいと言うので買ってやった。
1年生の息子も欲しいと言うので同じものを買ってやった。
息子はお姉ちゃんに教えられながら一生懸命に
ノートにローマ字で50音を書いていった。
「勉強」というのは本来、このような自発的な興味と
行為によるものでなければならないのだと思う。
「やらされている」勉強と「やりたいからやる」勉強では
身につく度合いにおのずと差が出るのは明らかだろう。


2000.9.7.

最近の子どもはみんな泳げるようだ。
昔はクラスに数人は泳げない子がいて、
お互いに励ましあったり(なぐさめあったり?)
しながら泳げない子が集まって、水泳の時間だけの
グループをつくっていた。
私もそのグループにはいっていた。
子どものプール参観に行って、泳げない子がほとんど
いなかったように思った。一人か二人だったろうか。
私は子どもにスイミングに通わせていたが、
スイミングに通っている子どもはけっこう多いようだ。
私は自分が泳げなかったつらさ、はずかしさを子どもに
味わって欲しくないと考えて子どもをスイミングに通わせたが、
めちゃくちゃ楽しそうに泳ぐ子どもの姿をみると、
通わせて良かったと思うのだ。


2000.9.5.

児童虐待。話はいろいろと聞いていたが、
目の当たりにしたのは昨日が初めてだと思う。
市役所で順番を待っているお母さんは、
20歳前後だろうか、とても若く見える。
子どもは4歳前後の女の子で、ちょっと咳をしている。
でも機嫌は良く、元気いっぱいなのでそんなに
たいしたことはないのだろう。
その子は壁際に置いてあるベビーベッドにもたれたりして
遊んでいたのだが、何かのひょうしによろめいて
ちょっと強めにベビーベッドに当たり、ちょっと大きな音を
出してしまった。するとお母さんはいきなりその子の頭を
「バシッ」と、はたいたのだ。子どもはある程度予想していたと見えて、
このときは泣かなかった。その後も子どもは同じ場所で遊んでいる。
お母さんは子どもに、「靴履け!」と異常にきつい口調で言う。
子どもは「早く病院に行こう」と言う。再び「靴履け!」
テレビドラマなどで、女子中学生の不良グループ内で強い者が
弱い者を責め立てるときのような、そんな口調だ。
お母さんはやっと順番が回ってきて用事を済ませ、
帰るときに子どもの手を引くのかと思ったら
いきなりビンタ。子どものほっぺたを平手打ちした。
子どももこれは予想していなかったのだろう。
さすがに泣き出したのだ。お母さんは先にすたすたと
歩いていく。子どもは泣きながら後を追う。階段を降りて行ったので
そこからは見ていないが、お母さんは「うるさい!」「病院いくんか!」
とか怒鳴り散らしていた。子どもの泣き声が一段と大きくなってから
だんだんと遠ざかって行ったが、その怒鳴り声の中で今度はげんこつで
子どものおでこのあたりを殴っていたということを階段を上ってくる
人の話で知った。
泣きそうになった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
子どもは殴られてもお母さんはお母さんで、ひとりしかいない。
すがれるひとはお母さんだけ。殴られてもお母さんにすがるしかない。
そんなふうに殴られて育っていって、やがて自分の子どもを
また殴っていくのだろうか。虐待する者は虐待された経験を
もっていることがかなり多いと言う。虐待しているお母さんも
かつては虐待されていたのだろうか。その虐待は永遠に続くのだろうか。
ほんとうに、虐待している側とされている側の両方の心の癒しが
必要なのだろう。なんとかならないか。なんとかならないか。


2000.9.1.

週刊誌に書かれたスキャンダル記事が
全くの事実無根であったとして、ある出版社が
被害者に損害賠償を支払い、謝罪文を掲載することで
和解した、という記事を見た。
このように、週刊誌に書かれている記事で
完全にウソの記事、でっちあげの記事は
どれくらいの割合なのだろう。
私やあなたの先入観は、そんな記事から
作られている事もあるのだろう。
先入観にとらわれず、自分の目で見て、
自分の耳で聞いて、自分の頭で判断したいと改めて思う。
(以前にも同じような事を書いた)

 



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